2018/08/11
当たり前のように、高校球児たちの素敵な戦いが、素敵にテレビで放映されて、素敵な夏のイベントとして扱われている。
これが本当に必要な事なのかどうかは、大いに議論の余地がある。
中学高校の部活動について、なんでこんなに徹底的に訓練するかのような、そんなものが存在しているのだろうか。
現代日本で、こんなものがまかり通って良いのか。
現在、教科学習の世界においては「主体的で、対話的な深い学び」が良く語られる。
その文脈の中で教師は「ティーチング」ではなく「コーチング」と「ファシリテート」に徹するというのが、常識として定着しつつある。
しかしながら、振り返って部活指導はどうだろうか。
コーチや顧問や監督に支配された練習環境である。
「コーチ」とは名ばかりで、特定の反復練習を共用するティーチングの世界である。
さらに、気になるのが「マネージャ」の存在である。
マネージャというのは「マネジメント」をする者であり、一般社会においてマネージャ階層といえば、管理職である。
学生スポーツの世界では、なぜかマネージャは小間使いを指す。
サッカーで強くなりたいと思う選手が居たとして、その選手は確かに練習して強くなることは多少できる。
しかしながら、今の部活動は「サッカーの戦術を学びたい」だとか「トレーニングの理論を実践的に学びたい」とか「組織のマネジメントをしたい」というタイプの生徒の欲求にこたえられない。
つまり、運動には興味が無いが、そのスポーツに興味がある層である。
甲子園とかで、監督が戦術を決めて、その兵隊であり、鉄砲玉として動く高校生たちには違和感を感じる。
指示を出すのが高校生であってほしい。そういう意味では、ちょっと前のPL学園末期の全て自分たちでやっている形というのは、理想的だったと思う。
学生スポーツを、学生の手に返してやってほしい。
教師は「組織運営のコーチ」として、過度の練習や、人心を無視した運営に気づかせるような立場で参画してはどうだろうか。
部活動を、教師の威信発揮の場ではなくて・・・
PBL(プロジェクトベースドラーニング)の場として活用していけないのだろうか。
天の神様
部活にも改革が起こる事を、父と子と聖霊の御名においてお祈り申し上げます。
えいめん!
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