2018/04/06
最近、検索というものが、あまり意味がない。
かつて、インターネット上には玉石混交の様々な情報が混じって存在しており、多くの人間が自分勝手に様々な発信をしていた。
しかしながら、ネットの発達とともに「ページビューの換金性」に、企業が目をつけてしまった。
いわゆるキュレーションサイトや、企業運営によるゲームの攻略wikiだったり、健康相談のサイトだったり・・・。
ググって出てくる情報のうち、1ページ目と2ページ目は、おおよそ似たようなものばかりに、成り果ててしまった。
さらに、個人でやっていた色々な情報サイトは、そうした低質なパクりキュレーションサイトやパクり攻略wikiに駆逐されて行ってしまった。
商業主義に、インターネット上の情報発信が汚染されてしまった。
かつて好き勝手な屋台村や、路上販売の集まりのようだったインターネット上の情報は、現在では、大通りの企業の看板みたいな、面白みのない似たようなものだらけになっている。
大槻ケンヂ氏の書籍の中で、インディーズが商業主義に囚われて面白みを失っていくという話が書かれていたが、同じようなことがインターネットで起きてしまっている。
今、必要なのは・・・
アフィリエイト等、ページビューを現金化する仕組みを一切採用していないサイト限定の検索エンジンである。
一次情報を、趣味で生み出している人々を、もう一度表舞台に立たせるにはこういうものが必要である。
単純に面白く無いのである。
逆に言うと、なんとなく個人で発信する情報を見て楽しむ場というのがtwitterに移っているというのは、こうした背景があるかもしれない。
もう、個人の情報サイトやブログが生きる時代ではなくなってきているのが悲しい限りである。
天の神様
情報発信を辞めてしまった人々が、再び何か書き始めたりする環境がかえってきますよう、父と子と聖霊の御名においてお祈り申し上げます。
えいめん!
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